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神戸地方裁判所姫路支部 昭和31年(わ)71号 判決

被告人 菅原貞市 外二名

主文

被告人菅原、同島津を各懲役二年に処する。

右両名に対し、この裁判確定の日から各三年間右刑の執行を猶予する。

被告人明石は無罪。

理由

(事実)

被告人菅原、同島津は、藤堂喜久次らとの間に岡山県方面にあると称するスクラツプ約三〇屯を、姫路市木場港(当時兵庫県飾磨郡八木村木場港)渡しで買い受ける約束をし、これを松浦喬に転売して多額の利益を得ようと考えたものであるが、右藤堂は古谷野寿二、孫富石、榧数良らと航行中の船を襲つてその積荷を奪取することを共謀し、昭和二七年一〇月二四日午前四時三〇分頃播磨灘別府港沖合において、素銅三三六枚、四九屯余を積載して大阪に向け航行中の機帆船第一合徳丸を漁船で追随してこれに乗り移り、同船乗組の船長浜野倉治、船員浜野伊右衛門、同浜野澄男の三名に対し、所携の出刄庖丁や短刀を突きつけて脅迫し、右三名を同船々室内に押しこめ、さらに細引でそれぞれ後手に縛つてその反抗を抑圧した上、同日午前五時頃右素銅を被告人菅原らに売り渡すため前記木場港沖合に回航し、同港岸壁附近路上において、連絡により積荷受領のため出向いてきた被告人菅原に対し、右のような非常手段により素銅を持つてきた事を打ち明け、積荷の陸揚げについて協力を求めた。そこで被告人菅原は右の次第を直ちに附近に待つていた被告人島津に打ち明け、こゝに右被告人両名は藤堂らが船員に暴行脅迫を加えてその積荷を奪取するものであることの情を知りながら、右第一合徳丸の積荷の陸揚げを容易ならしめる目的をもつて荷役人夫を準備すること等を共謀し、右謀議に基き被告人菅原は、姫路市木場一一八五番地名田春子方に赴いて人夫の世話を依頼し、同人のあつせんで人夫数名を雇い入れ、さらに被告人菅原は沖合に停泊中の第一合徳丸に乗り込み、船首に位置して港内の事情に暗い右藤堂らに操舵を指図し、同船を木場港内福栄商会倉庫岸壁へ誘導して接岸させ、同日午後六時頃同所において、情を知らない右人夫らをして右第一合徳丸より同船に積載していた前記素銅のうち二一枚(価格一一四万円位)を陸揚げさせ、よつて藤堂らがこれを強取するの行為を容易ならしめてこれを幇助したものである。

(証拠)(略)

(法令の適用)(略)

(本件強盗の既遂時について)

被告人菅原、同島津の各弁護人は、前記藤堂らが第一合徳丸の船員三名に対し出刃庖丁や短刀を突きつけ、細引でそれぞれ後手に縛つてその反抗を抑圧した以上、その時を以て同船の積荷に対し完全な支配権を取得したといえるから強盗は既遂であり、従つて被告人菅原や島津がたとえその後接岸荷揚げを容易ならしめる行為をしたとしても強盗幇助罪は成立しないと主張するので一言附加する。強盗は暴行脅迫により相手方の反抗を抑圧し、且つ財物の占有を取得したときに既遂となること勿論である。本件においては藤堂らが、第一合徳丸の船員三名に対し判示のような暴行脅迫を加えてその反抗を抑圧したことは明白であり、積荷ともども船をどこに持つて行こうと藤堂らの意のままの状態になつたことも一応認められるが、本件の積荷は粗鋼板三三六枚、四九屯余という数量、容積、重量ともに相当大きなものであり、且つ反抗を抑圧せられたとはいえ引続き船員が船中にいるのであるから、そのままの状態では積荷に対する船員らの占有は依然失われておらず、さらに船員を船外に連れ去るとか、積荷を陸揚げする等の奪取行為を伴わないかぎり、強盗の既遂にはならないと解する。例えばいわゆる屋内強盗において、犯人が家族全員を縛つてその反抗を抑圧したとしても、そのままの状態では家屋内の物品すべてが犯人の占有に帰したとは云えず強盗既遂にならないのと理論上差異はあるまい。弁護人の所論は船舶の移動性特殊性を過当に考慮するもので採用できない。

(公訴事実の一部について)

公訴事実中、被告人菅原、同島津両名が船員らを眠らせてその反抗を完全に抑圧し、且つ藤堂らの積荷陸揚げを容易ならしめて強盗を幇助することを共謀し、被告人島津において被告人明石と交渉して睡眠薬を貰い受け、これを藤堂に手渡し、同人らをして船員三名に服用又は注射させ、その反抗を抑圧して強盗を幇助したとの点については、諸般の証拠により被告人両名が共謀の上右のような幇助行為をしたことは一応認めうる。しかし後記被告人明石に対する無罪理由に示すとおり、右幇助行為が藤堂らの強盗行為を容易ならしめたとの証明が十分でないが、右は単一の強盗を幇助するための一手段、一態様にすぎず、判示認定の事実とは同一公訴事実の範囲内にあると認められるので、主文において無罪の言渡はしない。

(被告人明石に対する無罪の理由)

一、被告人明石に対する公訴事実の要旨は「同被告人は医師であつて被告人菅原、同島津が藤堂喜久次らよりスクラツプを買い受けるに際しその買受資金として一六万円余を貸与し、右品が木場港に到着すると同時にその返済を受けることになつていたものであるが、右藤堂は古谷野、孫、榧らと共謀の上、昭和二七年一〇月二四日午前四時三〇分頃、素銅三三六枚を積載して航行中の第一合徳丸に乗り移り、同船乗組員三名に対し判示のような暴行脅迫を加え、さらに同人らを昏睡させて奪取行為を容易ならしめるため相当量のカルモチン錠を飲ませた上、同日午前五時頃右素銅を被告人菅原に売り渡すべく木場港沖合に回航し、同所において被告人菅原に対し、右のような非常手段により素銅を持つてきたことを打ち明け、さらに船員三名を縛りカルモチンを飲ませたが眠らず、もし騒がれると接岸荷揚げが困難であるからと告げて船員三名を眠らす薬品の入手方を求めた。被告人菅原は直ちに右事実を被告人島津及び被告人明石の妻アヤ子に打ち明け、右被告人ら三名は第一合徳丸の船員の反抗を完全に抑圧し、その積荷陸揚げを容易ならしめる目的をもつて、被告人明石から睡眠薬を貰い受けこれを船員に服用させること等を共謀し、右謀議に従い被告人島津は被告人明石方に至り、右藤堂らの強盗継続中の事実を告げて船員三名に対する睡眠薬の交付方を求めた。被告人明石は藤堂らが海上において船舶を襲い船員らを縛つているが、そのまゝでは積荷の陸揚げができず、陸揚のためさらにその反抗を完全に抑圧すべく使用されるものであることの情を知りながら、藤堂らの強盗行為を容易ならしめることに加担する意思をもつてその要求を承諾し、即時一服約〇、四瓦量の睡眠剤ブロムワレリル尿素を含む粉薬六服、パーポン注射液一cc入アンプル七、八本及び注射器一個を被告人島津に手渡し、同人らをして第一合徳丸船室において、三名の船員に順次右粉薬一服、注射薬一本宛を服用又は注射させてその反抗を一そう抑圧させ、よつて右藤堂らが同船より素銅二一枚を陸揚げしてこれを強奪する行為を容易ならしめてこれを幇助したというのである。

二、右公訴事実のうち、前記藤堂らが第一合徳丸に乗り移り船員三名に対し暴行脅迫を加えてその反抗を抑圧したことは、前記被告人菅原、同島津に対する判決理由中に掲記の証拠によつて明かであり、又藤堂が右の事情を打ち明けて船員三名を眠らすために薬品入手方を被告人菅原に求め、被告人菅原が右事実を被告人島津に打ち明けたこと、被告人島津が肩書被告人明石方に至り、右藤堂らが海上を航行中の船を襲つて船員を縛つたが、荷揚げのためには船員らを眠らさないと具合が悪いから眠り薬をくれと要求したこと、被告人明石が白色の薬紙に包んだ粉薬六服と、パーポンと表示された箱に入つた注射液一cc入りアンプル六本位及び注射器一個を同所において被告人島津に手交し、右薬品は被告人島津より被告人菅原及び藤堂を経て榧数良に手渡され、右榧が第一合徳丸船室において船員三名に対し注射薬一本宛を注射し、さらに粉薬を一服宛服用させたこと、被告人明石が医師であつて、被告人菅原らにスクラツプ買受資金として一六万円余を貸与し、木場港荷揚げの際右金員の返還を受ける約束であつたことは、藤堂喜久次の検察官に対する第二回及び司法警察員に対する第一回各供述調書、被告人菅原の検察官に対する第三、四回各供述調書、被告人島津の検察官に対する第三、四回各供述調書、被告人明石の検察官に対する第一、二回各供述調書、榧数良の検察官に対する第三回供述調書によつて、いずれも認めることができる。

三、被告人明石は当公廷において、右薬品を被告人島津に渡した理由は、同人があまりにしつこく眠り薬の交付を求めるので、ともかく形だけでも薬を与えれば帰つてくれるであろうと思つたからで、船員を眠らす意図はなかつた旨陳弁し、強盗幇助の犯意を否認しているので、まずこの点につき考察することゝする。

1  被告人明石は手交した薬品につき(一)最初はパーポンの粉薬六服とパーポン注射液八本位であると述べ(事件発覚直後の昭和二十七年一一月五日付司法巡査に対する第一回供述調書)(二)次に下熱剤のアスピリン三服、鎮静睡眠剤のブロバリン三服、血止用のエルゴプリン注射液六、七本であると述べ(昭和三〇年三月二〇日付検察官に対する第一回供述調書)(三)次にアスピリン三服と一服〇、四瓦のブロバリン三服及びエルゴプリン注射液一cc入り約七本であるとし(昭和三一年二月二日付検察官に対する第二回供述調書)(四)起訴後の第一回公判においては、一服約〇、四瓦の睡眠剤ブロムワレリル尿素を含有する粉薬六服とエルゴプリン注射液一cc入り六、七本であつたと供述し(第一回公判調書の供述記載)(五)その後の公判においては右(二)、(三)と同旨の供述を繰り返していて、その供述は前後一貫していない。

2  藤堂喜久次の検察官に対する第二回供述調書、被告人菅原の当公廷(第二一回公判)における供述、巡査部長山本豊作成の捜査復命書及び領置調書、警察技官新井登志雄作成の鑑定書によると、藤堂は木場港で積荷陸揚げ中を警察官に発見されるや被告人菅原と共に附近の山林内に逃げ込み、そこで被告人明石から渡された粉薬六服のうち未使用の三服を放棄したこと、その三服が捜査官によつて発見され、分析の結果いずれもブロムワレリル尿素を含有する薬品であつたことを認めることができる。してみると粉薬六服のうち未使用の三服がブロムワレリル尿素を含有する睡眠剤であつたことは間違なく、その限りでは前記供述中(二)ないし(五)はこれに符合する。そして(四)を除くその余の被告人の供述によれば、残り三服(即ち実際に船員に施用された分)はいずれも下熱剤アスピリンであつたということになるが果してそうであろうか。被告人の言うとおりとすれば、外見上同じように白紙に包んだ粉薬六服(うち三服はブロムワレリル尿素を含有し他の三服はアスピリンであるとする)のうちから、情を知らない前記榧が任意に三服を選んだところ、いずれもアスピリンであつたという結果になり、それはありえないことではないにしても、その蓋然性(確率)の低いことは数学上明かである。その上被告人明石は船員を眠らせる意思はなかつたと言いながらブロバリン三服を与えたことを前記のとおり自認しており、右ブロバリン三服を与えた理由についての同被告人の弁解は、到底納得するに足る合理的なものとはいえない。もし言う如く形だけでも薬を与えて帰そうと考たのなら六服ともアスピリンにして渡せばよい筈でわざわざアスピリンとブロバリンを三服ずつにして渡すことは理解し難い。従つて粉薬六服のうち三服はアスピリンであつたという被告人の前記(二)(三)及び(五)の弁解は信用し難く、その故にかえつて、船員に実際に施用された粉薬三服も、未使用の三服と同様ブロムワレリル尿素を含有する睡眠薬ブロバリンであつたと推定して差支えないと考えるし、前記(四)のとおり被告人が粉薬六服ともブロバリンであつたことを自認している証拠もある。

3  右ブロバリン一服の分量は前記に述べたとおり約〇・四瓦であると認められるが、第七回公判調書中証人戸田良雄の供述記載及び鑑定人野口利明の鑑定供述に従えば、ブロバリンの睡眠剤としての常用量は〇・四ないし〇・五瓦というのであるから、船員三名に対し右ブロバリン六服、即ち一人につき二服宛を与えたとすれば、通常船員三名を眠らすに足る分量と認められる。被告人明石は当公廷において、船には相当数の船員がいると思つた旨供述しているが、右は同被告人の検察官に対する第一、二回各供述調書に照して信用できない。なお被告人明石、同島津の当公廷における各供述被告人島津の検察官に対する第四回供述調書によれば、被告人明石は被告人島津に薬品を交付する際、粉薬なら一服、注射薬なら一本を用い、両者を同時に用いてはならないと注意を与えた事実が認められるが、それは被告人明石がすでに船員らが藤堂により睡眠薬を飲まされている事実を知り(第二〇回、第二二回公判の被告人明石の供述)、医師としてその上素人が一度に薬を用いては危険であると判断したがためであると推察されるのであつて(後記4参照)、同被告人が船員の生命身体に危険を与えてまで目的の実現を図ろうという意思のなかつたことは認めうるにしても、右の事実をもつて船員らを眠らせる意思が全くなかつたとはいえない。

4  証人島津金次の当公廷における供述、被告人島津の当公廷(第二〇回、第二二回公判)における供述等によれば、被告人島津が被告人菅原の依頼を受けて再度被告人明石方に薬を貰いに行つた際、被告人明石は「あれ以上きつい薬を飲ませたらいかん船員が声を出して困るならタオルで口をくゝつておけ」と告げた事実が認められる。

以上1ないし4の諸事実及び前記二に認定した事実を綜合考察すれば、被告人明石は、藤堂らの強盗行為継続中の事実を知りながら、船員三名を眠らせて、その反抗を一そう抑圧するとともに、積荷陸揚げを容易ならしめて強盗を幇助する意図をもつて、常用量を含むブロバリン粉薬六服を被告人島津に手交したことを認めるに十分である。なお、被告人明石が手交した薬品のうち注射薬アンプル入り六、七本の薬名については、それがパーポンと表示された箱に入つていたこと前記のとおりであり、前記戸田証人の供述記載ではパーポンは鎮痛剤だが多量に用いるともうろう状態になるということであるし、前に認定した被告人明石の薬品交付の際の意図等と併せ考えると、真実パーポンであつたかもしれないが多少の疑いがないではない。しかし、右注射薬がブロバリンの睡眠作用を阻害する効力があるならば格別、その証明のない本件においては、薬品名が明かでないからといつて(仮にそれが同被告人のいうようにエルゴプリンであつたとしても)被告人明石の幇助犯意を否定できるものではない。

四、ところで実行行為中になされる幇助において幇助犯が成立するためには、幇助の意思をもつて幇助行為をなし、その行為が被幇助者(正犯)の実行行為を直接又は間接に容易ならしめたことを要し、単に容易ならしめる可能性があつたというだけでは足りないと解する。これを本件についてみるに、被告人明石が藤堂らの強盗行為継続中これを幇助する意思をもつて幇助行為(睡眠薬の交付)をしたことは前に認定したとおりであるから、さらに右幇助行為が強盗行為を容易ならしめたかどうかを以下に考察することにする。被告人明石の交付した薬品のうちブロバリン三服及び注射薬三本が榧数良の手によつて船員三名に施用されたことは既述のとおりであるが、榧の検察官に対する第三回供述調書によれば、粉薬を飲ませてから三人は眠りはしなかつたが少しダラリとしたように見受けたと述べている。しかし藤堂の司法警察員に対する第一回、榧の司法巡査に対する第一回、同人の検察官に対する第三回、浜野倉治の検察官に対する第一回各供述調書によると、その以前に藤堂らが船員三名に睡眠剤カルモチン錠を相当量飲ませていた事実が認められるから、榧のいう状態が先に飲ませたカルモチンの時間的経過による効果であつたかもしれないのみならず、かえつて浜野倉治の検察官及び司法警察員に対する各第一回供述調書によると、船員三名のうち浜野倉治と浜野伊右ヱ門は注射薬を射たれ粉薬を飲まされても最後まで眠らず、意識明瞭で前後の事情をよく記憶していたこと、船員の浜野澄男のみはすでにカルモチンを飲まされた時からグツタリして意識が明かでなかつたこと、浜野倉治はその後自力で手を縛つてある紐を抜き船室から脱出しようと試みたことをそれぞれ認めることができる。(船員らに常用量のブロバリン各一服を服用せしめたにもかかわらず眠らなかつた理由は、船員らが極度の興奮に陥つていたこと、及びブロバリンを水に溶かして湯呑茶碗で服用させたため薬効が十分でなかつたこと等にあると思われる)又、藤堂の司法警察員に対する第一回、被告人菅原の検察官に対する第四回、被告人島津の検察官に対する第四回各供述調書によると、藤堂は右の薬では船員が眠らないのでもつとよく効く薬を貰つてくるようにと被告人菅原に頼み、被告人島津が被告人菅原の依頼により再度被告人明石方へ薬を貰いに行つたこと、その後藤堂らは、船員らが眠つていないことを承知の上接岸荷揚げを敢行したことを認定できる。以上の事実によれば、船員三名に対して被告人明石の交付した薬品は何ら睡眠の効果を生じなかつたというほかなく、従つて又すでに藤堂らによつて加えられていた反抗抑圧の程度を高めたとも、藤堂らの接岸荷揚げを容易ならしめたとも認め難い。その他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

そうだとすれば、被告人明石の幇助行為が被幇助者たる藤堂らの強盗行為を容易ならしめたとの点につきその証明が十分でないことになり、右は被告事件について犯罪の証明がない場合に帰するから、刑事訴訟法第三三六条後段に従い被告人明石に対し無罪の言渡をすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 藤野岩雄)

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